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ホーチミン&アンコールワット旅日記
in
ベトナム&カンボジア


INDEX

6月11日(日)
 朝、隣のベッドで寝ているチイの「ねぇ、言っていい?」と言う声で目が覚めた。寝ぼけてるんだろうと思った私はのんきに「いいよ〜。」と布団の中から答える。「5:25なんだけど。」「・・・・・・・。えーーーーっ!!!」私はぎょっとして飛び起き、「やばいっ」と叫んで洗面所へダッシュする。とりあえずコンタクトだけはしないと!着替えだ、カメラだ、と部屋の中を走り回る私と妙に落ち着いているチイ。電話が鳴る。フロントからだ。ニョンが下で待ってると言う。「今すぐ行きますっ。」と電話を切り、階段を駆け下りて行く。眉毛も今日ばかりはどうでもいい。ニョンもちょっと眠そうだ。アンコール・ワット周辺のタクシードライバーは本当に大変だと思う。
 アンコール・ワットに着くが、日の出はまだまだ先のようだ。かなり暗い。しかも曇りで見れないかもしれない。どうか見れますように、と祈る。それにしても、朝の冷たい空気の中、暗闇の中にぼんやり浮かび上がるアンコール・ワットはさらに神秘的だ。ものすごい威圧感を感じる。まるで今はまだ神の時間で、中に足を踏み入れてはいけないような感じさえする。みんなもそう感じていたのかどうかは分からないが、奥の方へ進んで行く人はあまりいない。みんな一番最初にある階段の辺りで空の様子を窺っている。
 しばらくしてうっすら明るくなり始めると、みんなが移動し始めた。私たちも奥の方へと進んで行く。西塔門の手前に参道を挟んで2つの聖池がある。私たちは祠堂に向かって左側の聖池のほとりで日の出を待つ事にした。そこでチイと今朝の話しをする。私が「チイ、すごい落ち着いてたよねぇ。」と言うと「アイちゃん、ものすごいあせってたよね。」と笑う。「うん、すっごいあせった。」と私も笑う。
 だんだん明るくなっていく。だが、太陽が昇ってくるらしい辺りの空に雲がかかっている。見れないかもしれないという不安が頭をかすめる。でも、今日がダメでもチャンスはあと1回ある。1日だけでもいいから絶対に見たい。だいぶ空が明るくなってきた。でも太陽は顔を出してくれない。だめかぁ・・・。半分あきらめかけた頃、雲の向こうから強い光が射してきた。太陽は見えないけれど、強くてまっすぐな光がアンコール・ワットを後ろから照らし出す。そして、光の中に浮かび上がったその雄姿が聖池にも映し出される。薄曇だし完全な日の出ではないけれど、感動のあまり興奮する。私たちも明るく強い光に包まれ、目が眩みそうだ。けれど、あっという間にその瞬間は終わってしまった。

朝焼け?に浮かび上がるアンコール・ワット。
 それから朝食を食べるためホテルへ戻る。7:30にニョンが迎えに来てくれる事になっている。あまり時間がない。朝食を取るためホテル1Fにあるレストランへ入って行くと、時間が早いせいかあまり人がいない。静かなのでちょっと緊張するが、スタッフはみんなとても感じがいい。ここの人たちも日本語を勉強してる人が多いようで、日本語で話しがしたそうだった。その中にちょっと癖があるものの、上手に日本語を話す男の人がいた。ひょうきんでとても感じがいい。ゆっくり話しをしたいが、時間がないのでもくもくと食べる。
 結局時間がないせいで、パンとバナナが残ってしまった。チイと「もったいないね。」と言い合い、あのひょうきんなお兄さんに持ち帰ってもいいか聞いてみた。すると、「持ってくのぉ?」と笑いながらどこかへ行ってしまった。私たちはちょっと恥ずかしく思いながら笑っていると、そのお兄さんは袋を持ってきてパンとバナナを入れてくれた。「ありがとう。これ私たちのお昼!」と言うと笑っていた。それから急いで部屋に戻り、バナナを冷蔵庫にしまい、出かける準備をしてロビーへ下りて行った。そしてその頃、私もチイもお腹が痛くなりつつあった・・・。
 目指すはシェムリアップから約40km離れた所にあるバンテアイ・スレイ。バンテアイ・スレイには「東洋のモナリザ」と呼ばれるデバター像がある。私はこのデバター像を見るのを楽しみにしていた。バンテアイ・スレイまでの道はかなり悪いと聞いていたが、車に乗っていたせいか全然気にならなかった。まっすぐ続いて行く赤土の道と真っ青な空が気持ちいい。いくつかの村を抜けて行く。道端には沢山の牛がいる。そして、ここに住む人たちの暮らしぶりが少しだけ窺える。私もチイもカメラを構えて周りの景色に夢中になっていた。

ただただ平原が続く。車窓からの眺め。
 それから私たちは明日の移動もニョンに頼むことにした。明日はトンレサップ湖に行きたい。そしてそのまま、シェムリアップ空港まで送ってもらいたい。そうすればホテルをチェックアウトした後の荷物の心配をする必要がなくなる。その事をニョンに伝え、値段交渉が始まる。トンレサップ湖までは距離もあるうえ道が悪いらしい。少しの交渉の後、ニョンが最初に提示した値段から少しだけおまけしてもらい、55だったか60ドルで話しがまとまった。これで明日の移動の心配はなくなった。
 それからチイが「プノーン・クレーンにも行けないかな。」と言い出した。前からチイが行きたがっていたのだが、時間的に無理そうだったので予定から外していたのだ。試しにニョンに聞いてみると、プノーン・クレーンまではバンテアイ・スレイから1時間位だと言う。頑張れば行けそうだ。そこでニョンにプノーン・クレーンにも行きたいと言ってみた。ニョンは「だって午後はアンコール・トムに行くんでしょ?」みたいな事を言う。「明日でいい。」と言うと、ニョンは少し困って何かを考え始めた。多分、遠いから嫌なのだろう。少しして「70ドル。」と言う。今回は値引き交渉などはせず「OK!」と答える。やった!これで行きたいと思っていた所に全部行ける。せっかく来たのだから可能な限り行っておきたい。ニョンは観念したように今日と明日の予定を確認し、嬉しそうに返事をする私たちをルームミラーで見た後、やっぱり「んふふふふ〜。」と笑った。そして、小腹の空いた私たちは、朝もらってきたパンをニョンと3人で分け合って食べた。
 バンテアイ・スレイに着いた。この遺跡はラージェントラヴァルマン2世とジャヤヴァルマン5世によって967年に作られた。遺跡のほとんどが赤色の砂岩で作られており、とてもきれいである。私たちは感動のあまり走って遺跡に入って行く。全体的に赤っぽくてきれいなうえ、何だか柔らかい印象を受ける。昨日見たタ・プロームやアンコール・ワットとはまた違う。たいして広くもないのだが、私はこの遺跡がとても気に入ってしまった。

小ぶりな遺跡だけどとても雰囲気がいいバンテアイ・スレイ。
 どんどん奥へ入って行き、お目当ての「東洋のモナリザ」と呼ばれるデバター像を探す。が、なかなか見つからない。そう広くもないし、ガイドブックにはもちろん、たいていの旅行パンフレットにも載っているくらいだからすぐ見つかると思っていた。ガイドブックで位置を確認してその場所へ行ってみるのだが、どうしても見つける事ができない。そこで、近くにいたスタッフに尋ねてみた。すると、「東洋のモナリザ」は中にしまってあって(みたいな事を言ってたと思う。)見れないと言う。私の英語ではうまく伝わっていないのかも、このスタッフも英語があまり分からないみたいだ、見れないわけがない、そう思って納得のできない私はしつこく写真を見せながら聞いてみる。すると私をある場所まで誘導し、「あの中にあって見れない。」みたいな事を言われてしまった。私はどうしても納得できなかったが、結局見つけることができず、腑に落ちないまま去る事になった。残念・・・。
 
バンテアイ・スレイの中の様子。
 それからプノーン・クレーンへ向かう。(だいぶ後になって知ったのだが、ここはプノーン・クレーンではなく、プノーン・クレーンの麓のクバル・スピアンだった。)ここはつい最近までポル・ポト派が占拠していた山で、一般人向けに観光地として開放されたのはほんの2、3年位前らしい。チイが読んだ本によると、川の中に遺跡があるそうだ。やはりこの遺跡にもストーリーがあり、チイが一生懸命ニョンに聞いている。プノーン・クレーンまでの道のりを、周りの景色を楽しみながら過ごしていると、あっという間に到着した。アメリカ人カップルがちょうど山へ入って行ったところだった。2,3軒のジュース位しか売っていない屋台を除くと、それ以外に人はいない。山への入口の所に説明書きがされている看板がある。それをさっと見て、私たちはわくわくしつつ山の中へ入って行った。
 
左:山の入口ら辺の景色  右:入口にある看板
 「パラダイスみたい!」と言いたくなるほどの沢山の蝶々が飛んでいる。つたのような木の根っこが私たちの行く手を邪魔したり、大きなヤスデが這っていたり、草や葉っぱで覆われている小道を両手でかきわけながらどんどん山の中へと入って行く。目指すは水中にある遺跡たち。だが突然、ふいに私たちは怖くなった。本当に人がいないのだ。いつ山賊が出てきても不思議はない。事前にカンボジアについての情報を集めていたとき、「山賊」という文字が度々出てきた。そしてバンテアイ・スレイやプノーン・クレーン辺りは、今なお政府から「危険勧告2」が出ていて、できる限り近づかないよう警告が出されている。昼間であっても1人で出歩かないように、と書いてあった。そんな地域を、しかも山の中を女2人で歩いてる。周りには誰もいない。よくよく考えれば女2人で山に入って行くなんて危険だったかもしれない。山に入る前に不安に思わなかった方がおかしい。私たちは、前にいるはずのアメリカ人カップルの姿を求めて急ぎ足になる。でも、なかなか姿が目に入ってこない。だが、時々近くから声がする。だけど姿はない・・・。一体誰の声なんだろう?本気で不安になってきた。しかも、つい最近までポル・ポト派が占拠していた山だ。地雷だってあるかもしれない。(これまた後から知ったのだが、まだ沢山の地雷が埋まっているらしい・・・。)何があるか、誰がいるか分からない。早くアメリカ人カップルに会いたい!だが、そう思ったのも束の間。私たちはまたのんきに面白い物やきれいな物、偉大な物を見つけてははしゃぎ、いちいち立ち止って確認したり写真を撮ったりした。

草や葉っぱで覆われている小道。ここは明るい。
 しばらく行くと水の音が聞こえてきた。左向きの矢印も出て来た。道はまっすぐ続いているが、とりあえず左にそれてみる。蝶々が飛び交う木の階段を降りて行くと、ちょうど、会いたかったアメリカ人カップルが上がって来た。あぁ、良かった。すれ違いざま、「ハイ!」とあいさつを交わす。階段の下には思わず声をあげてしまう程のきれいな川と滝があった。カンボジアの自然の美を目の当たりにして、それまでの疲れや心細さが一気に吹っ飛ぶ。川や滝に手で触れてはしゃぐ私たち。水中の遺跡は近いハズだ!はやる気持ちを抑えられず、心なしか早足で先を急ぐ。少し先で4,5人のアメリカ人が水中を覗き込んでいる。「あそこかな?」近寄ってみると、浅くてほとんど流れのない水の中に何かがある。あきらかに人の手によって施された何かである。それは円盤状の「リンガ」と方形の「ヨニ」というものだった。無数のリンガが規則正しく並んでいる。でも正直なところ、「あぁ。」位の感動である。確かに「すごいっ!」とは思った。でも、もっとこう、うまく言えないが、言葉を失うような何かを想像していた。私はここの遺跡についてはあまり本を読んでいなかったので、どういう物があるのか今ひとつ良く分かっていなかった。チイが「多分もう少し先にもっとすごいのがあると思う。」と言う。
 
左:滝の側まで行くと冷たい水しぶきがかかって気持ちいい。 
右:丸いのがリンガ、四角いのがヨニ。
 もう少し上に歩いて行くと、道に不自然な穴がいくつか開いている。「これもそうなのかな?」と言いながら目の前の川に目をやって、チイと声を揃えて「あーーーっ!」と叫ぶ。川の中にある大きな岩にヴィシヌ神と馬が掘り込まれている。そして、その大きな岩のため川の中に小さな段差ができ、その段差を水が白いしぶきを上げながら勢いよく流れて行く。最初に見た遺跡が「静」ならこれはまさしく「動」である。私が求めていたのはこれだ!私たちは興奮してその岩へ回ってみる。そしてまた叫ぶ。今私たちが立っていたところの石にもヴィシュヌ神が掘られているのだ。すごい、すごい、すごい!川の中にうつ伏せになっているヴィシヌ神もある。来て良かった。心からそう思った。そう感動に浸っているとガイド付きの2人組がやってきて、川に入ってしまっていた私たちはそのガイドさんに怒られた・・・。当たり前だ。興奮しすぎててそんな事も分からなくなっていた私たちだった。
 
 
 石に掘り込まれたヴィシュヌ神。手前にある丸いのはリンガ。
 帰り道は早い。どんどん下って行く。途中で、アメリカ人カップルが岩の下を覗き込んでいた。私たちに気付くやいなや、男の人が「スネーク、スネーク」と私たちに手招きする。近づいて行くと今度は女の人がまるで子供に言い聞かせるようにまじめな顔で、「ポイズン。ピュッ、ピュッ。」と、手で毒が飛んでくる仕草をする。見ると全体的に緑色で背中が赤く、30cm位の細いへびがとぐろを巻いている。男の人が木の枝でつっついて、そのくせ驚いている。4人で顔を見合わせ「ワーオ」。それからアメリカ人カップルはすごい速さで山を下って行った。私たちもスコールが来ないうちに下り切ろうと急いで歩いて行った。

入口に戻って来た時の目の前の景色。気持ちいい。
 ニョンは屋台で飲み物を飲んで待っていた。私たちはお腹が空いたのでバンテアイ・スレイ前の屋台でランチをとることにした。ニョンもまだ何も食べてないと言うので3人で食べた。
 料理が出てくるまでの間、ポストカードや本を持った子供たちが寄ってくる。何とか買ってもらおうとすごい勢いだ。だが、お兄さん・お姉さんに叱られすごすごと引き下がる。だが視線を感じてそちらに目をやると、ものすごくイキイキした顔で目をキラキラさせながらいたずらっぽくウインクをして「買って。」と訴えている。チャーミングという言葉がぴったりの笑顔だ。素直ないい子たちだというのがよく分かる。だから全然イヤな気分になったりしない。やりとりをするのが楽しい位だ。ニョンはただただ笑っている。少し困った表情を浮かべつつ・・・。
 何でもドルで言ってくるので1ドルは何リエルか聞くと、「あれ?」と思うような値段を言う。「え〜?」って笑いつつニョンに尋ねると、ニョンが答えるより先に子供達が「いくらいくらって言って!」と懇願するように騒ぐ。ニョンは本当に困った顔をして少し目をそらしながら値段を言う。そこにニョンの優しさを見た気がした。私たちを騙したくはない。だけど、この子たちの生活を考えると少しでも高い方がいいに決まっている。そして困っているニョン。ニョンもまたいい人だと感じた。私たちは言われた値段で、私はポストカードを、チイは本を買った。そして、白いご飯に焼いた鶏肉を(ちいは豚肉)載せただけのご飯はおいしかった。次々たかろうとするハエを左手ではらいながら食べるご飯も、なかなかカンボジアっぽくていい。
 
左:優しいニョン。
右:本当においしかったご飯とスープ。でも、骨には注意。
 午後は帰りながら色々遺跡を回ってくれると言う。最終目的はアンコール・ワットで夕日を見ることだ。私たちが「アンコール・ワットは昨日行ったからいい。」と言うと「でも、昨日は雨だったから。」とニョンは言う。「親切だなぁ。」と思う。
 最初に行ったのは961年、ラージェンドラヴァルマン2世によって創建されたピラミッド式寺院、プレ・ループだ。ここでは火葬の儀式が行われていたそうだ。中央祠堂を目指し急な階段を上って行く。今日は午後になっても快晴のままだ。急な階段を上りながら空を見上げると真っ青な空に沢山の白い雲が浮いていてとても気持ちがいい。最上部まで来た所で周りを見渡してみる。真っ青な空と白い雲、そして密林がどこまでも続いている。他には何もない。何て雄大な景色なんだろう。すっかりすがすがしい気分になり、ここから見る事のできる大自然に十分感動した後、慌しくニョンが待つタクシーへ戻って行った。少しでも多くの遺跡に行きたいので、そんなにゆっくりはしていられない。

最上部から見た景色。本当に雄大だ。
 次にニョンが連れて行ってくれたのは12世紀末、ジャヤヴァルマン7世によって創建されたバンテアイ・クディだ。四方に顔の付いた四面塔の門をくぐり奥へと進む。ここには沢山の柱があって、それぞれに天の舞姫アプサラスや女神デヴァターが彫られている。全体的に崩れかかった遺跡で、色々な箇所が棒で支えられていた。でも、何だか居心地のいい遺跡だった。
 
左:柱に彫られているアプサラス  右:沢山の神々?
 それから目の前にあるスラ・スランへ歩いて行く。王の沐浴のために作られた巨大な人工池だ。2体のシンハ像の背中越しに見える、なみなみとした水と真っ青な空と白い雲が生み出す景色は圧巻である。ため息にも近い感嘆の声を上げながら池に近づいて行くと、1人の男の人が泳ぎ出したところだった。本当に気持ち良さそうだ。「写真を撮ってもいいですか?」と叫んでみる。すると笑顔で「OK」と言い、少し側に寄って来て手を上げポーズを取る。「写真ちょうだい。」と言うので「住所は?」と尋ねると「毎日この辺にいる。」と言う。チイと顔を見合わせて笑い、「OK!」と言って私たちはタクシーへ戻った。
 
本当に絵に描いたような景色のスラ・スラン。
 次に向かった場所は921年、ハルシャヴァルマン1世によって創建されたプラサット・クラヴァンである。この遺跡は全てレンガで造られており、これまた真っ青な空と赤いレンガとのコントラストが美しかった。横1列に祠堂が並んでいるのは珍しいらしく、また、祠堂の中を覗くとヴィシュヌ神が彫られていた。後は特に何があるとういわけでもなかったが、気持ちのいい場所だった。タクシーに戻る前、あまりの暑さと疲れのせいで冷たくて甘い飲み物がむしょうに欲しくなり、初めて水以外の飲み物を買った。ファンタオレンジ1缶1ドル。高い。ベトナムでもそうだったが、カンボジアも外国人は何でも1ドルのようだ。私たちは一気にそれを飲み干してしまった。ちょっと昨日から痛いお腹が気になったが、本当に喉が渇いていた。

これまた絵に描いたようなプラサット・クラヴァン。
 それからタ・プロームの前を通り、タ・ケウへ行く。この遺跡は11世紀初頭、ジャヤヴァルマン5世によって建設が始められたのだが、色々な説により未完成のままである。そのため装飾も少ない。タ・ケウとは「碧玉の塔」という意味で「ここにあった碧玉の仏像がアユタヤ軍に盗まれた。バンコクにあるエメラルド寺院にあるエメラルド仏がそれだ。」という説もあり、ちょっと興味深い。私たちは「よしっ、行こう。」と疲れた体に気合を入れ、中央祠堂を目指して急で長い階段を上って行く。上まで行くと高さがあるので見晴らしがいい。見えるのはどこまでも続く密林のみ。この果てしなさを見るたび疲れが吹っ飛び「上ってきて良かった。」と思う。
 中央祠堂の中に入ると2人の女の子がいた。チャントリアとルーム、10歳前後位だろうか。下の屋台の娘で、2人は友達だそうだ。チャントリアはとても上手に日本語を話す。とても人懐っこく「私の家でジュースを買って。」といたずらっぽく笑う。ルームは少し恥ずかしがりやで控えめな感じだが、やっぱり人懐っこい。そして驚いた事に‘あっち向いてホイ’や‘アルプス一万尺’を知っていて「一緒にやろう!」と嬉しそうだ。私たちはそれぞれペアになり、大笑いしながらしばしの間遊んだ。はっきり言って私の方が‘アルプス一万尺’がよく分からない。なので教えてもらう。しばらくして「もう戻らなきゃ。」と言うと「ジュース買って。」とまた笑う。「ごめんね。さっき飲んだばっかりで今は飲みたくないんだ。」と言うと「お姉さん、うそつき。」と笑う。「本当だよ〜。」と笑うと「うそだー。買って?」とついて来る。そして、チャントリアとルームは急な階段を「よ〜いどん」と笑いながら駆け下りて行った。その後ろから「すごーい。」と笑いながら気を付けて下りて行く。結局、私たちはジュースを買わずに車に乗り込んでしまった。次はアンコール・ワットに行き夕日を見て、そしてご飯を食べに行くからもう飲み物は必要ないと思ったのだ。するとチャントリアは声にならない声で本当に悔しそうに怒り、ぷいっと背を向けて走って行ってしまった。あらら。
 
チャントリア(右)とルーム(左)と遊んだタ・ケウ。
 車に乗ると次はトマノンに行くと言う。「何だ。じゃぁ、何か買ってあげれば良かったね。私、水欲しいよ。」とチイが言い、「私も。」と答える。チャントリア、ごめんよ・・・。トマノンは12世紀初頭、スールヤヴァルマン2世によって創建された遺跡で、壁に掘られたデバター像がとてもきれいだった。唇がうっすらピンク色で、まるで口紅を塗っているかのようである。私はこのデバター像がとても気に入ってしまった。

お気に入りのデバター像
 それから道を挟んで目の前にあるチャウ・サイ・テボーダへ歩いて行く。ここは修復中でほとんどまともに見ることができなかった。正面から写真を撮り、車へ戻った。
 夕日を見るためアンコール・ワットへ向かう。今日はスコールがなく、快晴が続いている。きれいな夕日が見れそうだ。期待に胸を膨らませていると、人で賑わう場所があった。久しぶりにこんなに人を見た気がする。と言っても、そんなに多くはないのだが・・・。「ここは何?」と尋ねるとプノン・バケンだと言う。プノン・バケンはプノン・クロム、プノン・ボックとともにアンコール三聖山と呼ばれていて、ここから見る夕日も素晴らしいと書いてあった。チイと「ここもいいね。」と言って、ニョンに車を停めてもらった。ニョンは「今日の夕飯はどうする?」と聞き「バイヨン」というレストランを勧めてくれる。そして「太陽が沈んだ頃、迎えに来る。」と言って車を発進させた。
 喉が渇いていた私たちはまず水を買う。そして、足りなくなりそうだったフィルムを買う。カンボジアでもAPSフィルムが買えることに驚く。そして、山(丘?)を登る前に買ったばかりの水を一口飲み、日本から持って来ていたポカリスウェットの粉を入れる。かなり疲れていた私たちはもくもくとそれを飲み、少しのあいだ放心していた。すると突然、顔に冷たい何かが当たる。「あれ?雨?」と言うやいなやそれまでの青かった空が一転、鈍い灰色に変わり激しいスコールが始まった。これできれいな夕日が見れないことがはっきりしてしまい、ますます体中に疲労感が走る。木陰へ移動し、折りたたみ傘を広げる。がっかりだ。今日はもう降らないと思っていたのに。観光客を乗せるために待機している象たちはずぶ濡れだ。そんなずぶ濡れの象をボーっと見ていると、かっぱを着た象使いの男の子がニコニコ笑って「このかっぱとその傘、交換して。」とジェスチャーする。「ダメダメ。」と笑って顔を横に振ると「じゃぁ、これも付けるよ。」とかぶっている帽子をつかむ。さらに笑って顔を横に振ると、仲間と顔を見合わせて笑っている。

 私たちは少し元気になり、雨が小降りになったところで、雨でぐちゃぐちゃになった滑りそうな急な勾配を登って行った。登り切るとピラミッド形式の遺跡がある。さらに急な階段を上って行く。やっと主祠堂にたどり着くと、360度に広がる大パノラマが歓迎してくれる。どんよりとした空には分厚い雨雲が立ち込めてはいるものの、今までで一番高い場所からの眺めに感動する。どこまでもどこまでも平らに続く密林の中にぽつんと目立ついくつかの山と、大きな大きな湖。そして、激しいスコールで田んぼのようになった大地からにょきにょき伸びている背の高いやしの木々。霧で霞む密林の中にアンコール・ワットの姿を見ることもできる。たとえ夕日が見れなくても、本当に登ってきて良かったと、これらの景色を眺めながら感慨にふける。
  
左:かなり登りにくい道。  中央:本当に周りには何もない。
右:かすかに見ることのできたアンコール・ワット。
 私とチイは、夕日は見れないものとあきらめていた。が、だんだん人が増えてくるにつれ、かすかな期待を持ち始めた。「もしかして見れるのかな?」しかし、激しいスコールは降ったり止んだりを繰り返している。
 主祠堂の影で雨宿りをしていると、1人の男の人が寄って来た。ゲストハウスで日本語ガイドをやっている21歳の縁月星(エンチャンダーラー)。おじいさんが中国人なので名前が中国名なのだと言う。とてもひょうきんで大阪弁も使う。「私のお客さん、こんな雨なのに登るって言うんだよ。やだ〜。」と笑う。「お客さんほっといていいの?」と聞くと「あそこにいるから大丈夫。」と、色々な話しをしてくれた。縁月星(どこがまでが名前なのかよく分からない・・・。)は日本へのあこがれが強い人である。海外へ行くには相当お金がかかるからどこにも行った事がないが、いつか必ず東京に行きたいのだと力強く言った。東京、と言っても郊外だが、に住む私には東京の良さがあまり分からない。「来るなら京都とかの方がおもしろいよ。」と言ってみたが、「や、東京に行きたい。」そう、力強く繰り返し、お客さんが動き出したので「じゃっ。」と去って行った。少しして空が明るくなり始めた。「もしかして見れる?」という期待は叶わず、最後まで太陽が姿を見せる事はなかった。が、雲の向こうでは明るい光がたちこめているようで、全体的にぼや〜っとした明るさが広がった。主祠堂に後光が射したように見え、それはそれで感動的であった。

朝焼けに引き続き、何となくの夕焼け。でも、やっぱり感動。
 山を下って行くとニョンが待っていた。車に乗り、ニョンおすすめのレストラン「バイヨン」へ向かう。ここでも店員に取り囲まれる。みんな日本人が大好きだ。「日本語でこういう時は何て言うの?」とか「ガイドブックを見せて。」とか「発音を教えて。」とか、とにかく誰かしらが側にいる。みんなとても面白くて笑いが絶えなかった。そして、カンボジア料理はとても食べやすくておいしかった。特にトンレサップ湖の淡水魚、アモックをココナッツミルクで煮込んだ‘アモック ウイズ ココナッツソース’は絶品である。昨日に引き続き死ぬほど食べた私たちは、大満足でホテルへ戻って行った。ホテル前でニョンと明日の時間を決める。疲れきっていた私たちは明日の朝も今日と変わらない天気だとニョンに言われ「本当かな?」とは思うものの、5:30に待ち合わせる元気は到底無く、「朝日はもういい。」と言って8:00に約束をした。
 部屋に戻るなりベッドに倒れ込む。まだ20:00だ。はっと気付くと時計の針は1:00を指している。うわ〜・・・、と思いながらチイを起こし、順番にシャワーを浴びつつ荷物の整理を始める。いよいよ明日は帰国だ。冷蔵庫を開けると、朝、しまっておいたバナナが目に入った。「バナナもあるよー・・・。」「そうだ。食べなくちゃ・・・。」と無理やり口に押し込む。無理やり食べたわりには甘くておいしい。「ん!おいしい!」と2人で目を輝かせる、が、すぐにまた放心状態になる。眠い目をこすりながらハガキを書く。つらい、つらい、つらい・・・。ふっとチイを見ると顔にパックをしたまま眠っている。「チイ〜、パックいいのぉ?」と声をかけるが「んー・・・。」と言って動けないでいる。しばらくして「顔洗わなきゃ。」と起き上がった。私は私でお腹がどんどん痛くなりつつあって「お腹痛い・・・。」とぶつぶつ言っていた。そんな私にチイが市販の薬ではなく病院の薬をくれる。さすがナース。頼もしい限りである。そんなこんなで、部屋の電気を消したのは3:30だった。

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